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マイノリティ

自分たち大勢の社会になじめない、働けない。
そんなマイノリティ(少数者)を差別し、能力がないと言い、なぜ「我々が養う必要があるのか」と言ってしまう。なんていう考え方の人っていうのは社会の中にいつも一定数いるのだと思う。

自分がマイノリティ(少数者)には今はもちろん、未来永劫ならないと思い込み and 自分は有能であると信じ(1つの価値尺度しか持たないからこそ) and 人間はみんな自分の中の狭い世界しか体験できないけれど、それが世界のすべてだと思い込んでいるような方が陥りやすい錯覚だとぼくは思う。

そのような考え方の対極に民主主義っていう概念はあって、だから多数決=民主主義ではなく。
基本的人権という考え方が生まれ、多様であるぼくらがみんなで歩んでいこうっていうのが民主主義だと思う。
その、多様である人の集まりだからこそ基本的人権が大事だっていう教育は、民主主義を標榜するならばとても大切な仕組みだと思うんだけれど、その仕組みを作り、運営することをぼくらから委託されている人の中に、こういう方がいること。
そして、いることを許されること。
それはとても怖いことなんじゃないだろうか。

っていうことを前提にして、ぼくは言いたい。

大勢の人たちが当たり前のようにできることになじめない。できない。だから働けない。
その原因はマイノリティ(少数者)にあるんじゃない。思考停止している大勢の側にあるんだとぼくは思う。

ぼくはうつ病を患っている。正確には自律神経失調症だけど、大差ないらしいからわかりやすく短い「うつ病」って言葉を使うけれど。
今ではずいぶん楽になってきたけれど、発病当初は家から一歩も出られない。下手するとベットから起きれない日々が続いていた。
世の中に「会社に行って仕事する」っていう仕事しかなかったら、ぼくは働けなかっただろう。

ちゃんちき堂はネット通販から始まった。
インターネットという技術が生まれ、その上でショッピングができるようになり、配送手段も身近になった。テクノロジーの進歩(これこそ!)と、こういった社会システムが作られた現代において、うつ病になったからこそ、ぼくはちゃんちき堂を始められた。
この技術と社会システムをつくり育て維持してくれているすべての人に感謝している。
それがなかったら、ぼくは働けなかったからだ。

リアカーで行商をしているのは「歩くっていう有酸素運動がうつ病にはいい」「疲れたら人気のないところに行ける」からだ。
もし、行商っていうスタイルがなかったら。リアカーっていうものが世の中になかったら、ぼくはずっと家にこもって仕事をしていたかもしれない。リアカーを発明してくれた誰かに。そして行商っていうスタイルをはじめた誰かにとっても感謝している。

もし、そうじゃなければ、ぼくは社会に参加することができないまま、大勢の人に養ってもらう存在だったかもしれない。

でも、ぼくは今働けているし、社会参加できている。
だからこそ、自分がマイノリティ(少数派)の1人である自覚があるし、そんなぼくができる仕事を作り出せたこと、そのために必要だったたくさんの技術、社会のシステムを作ってくれた人に感謝している。

世界にはたくさんのマイノリティ(少数派)がいるだろうと思う。
今の社会には参加しずらかったり、できなかったり、働けなかったりする人もいるんだと思う。
だからこそ、自分の体験を振り返って思う。
それは参加できるような技術が今はなかったり、社会システムがなかったり、その他様々なぼくらが作り出したものが邪魔していたり、手が届かなかったり、それが原因なんじゃなかろうか。

民主主義は多様であることが前提で、多様であることはお互いに相手が違う人間であること、そしてそれを想像できるってことが前提だと思う。
ぼくら一人一人が今よりももうちょっとだけ、想像力が豊かになって、相手のことを想う力を身に着けていけたら。
社会に参加し、働ける人が増えるかもしれない。
社会を豊かにさせたいというなら、そこからなんじゃないだろうか。
「生産性」をあげたいって思ってるなら、なおのことだ。

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