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軍事力

軍事力というのは国にとっての外交の1つの道具ってだけのことだと思う。
「私はこうしたい」
「あなたとこう付き合いたい」
と、他の国々と対話する後ろにピカピカの鋼鉄でできた兵器たちを並べて。
迷彩服に身を包んだ軍人さん達がどれだけたくさんいるかを見せつけて。
その言葉に「力」を与えるのが軍事力っていうやつなんだろうと思う。

同様のことはイロンナ形で可能なことだと思う。
その国の外交的な発言力を高めるために必要な行為って意味で。
経済力がある国ならば、他の国が求める経済支援を行うことで、その国の発言する力を高めることもできるだろうし、ぼくらが生きていくのに必要な資源や、「経済発展」のために必要なたくさんの資源を持っている国ならば、それを他の国に分け与えることで。
その国の人が生み出す「考え方」「ノウハウ」がそれになることもあるかもしれないし、いつも困った国を助け続ける姿勢がそれにあたるかもしれない。

そのたくさんの選択肢の1つに軍事力っていうやつはあるだけのことだ。

その軍事力が行使されるとそれは「外交上」の「戦争」ってやつになるわけだけれど、「戦争」を起こす目的なんてものは大抵は1つしかないように思う。
特定の、そしてほんの少しだけの人の経済的な「利益」ってやつだ。
その上にたくさんのものが乗っけられると思う。
「宗教」的な対立もそうだし、「愛国心」なんて言葉もそれにあたるんだと思う。そして、戦争が実際に起きることによっておきる、無理やり対立させられたぼくら市民の間で払われるたくさんの犠牲の数々と、だからこそ生まれてしまった憎しみや悲しみの感情たちも。

今現在の世界地図を広げて、紛争地帯と呼ばれているところ。テロが多発しているところの多くは過去に別な国の勝手な思惑で国境線が引かれてしまって民族が分断されてしまったところや、多くの資源が集まっているところなのはそんな「軍事力」や「戦争」っていう外交手段に頼り切った国々が起こしてしまって、そして今もおこし続けて、こんがらがってしまったもののようにぼくには思える。

72年前まで、そんな国々の1つとしてたくさんの戦争とこの国、そして他の国々で2,000万人以上の犠牲を出した「責任」を持つこの国に住んでいるぼくは、今この瞬間のこの国の歴史が毎日つづられていく時間軸の中で、自分の今の想いを言葉にしておきたい。
「軍事力は国家に認められた権利である」とか「他の国が攻めて来たらどうするのさ!」っていう短兵急で物事の1面だけに無理やりフォーカスしたような議論には参加したくないということを。
ましてや「ミサイルを打ち落とすぞ!」とか「ミサイルが飛んで来たら!」なんていう恐怖感は刺激されるけれど、時間軸があまりに短いような話には。

72年間の間、この国が培ってきたたくさんの外交上の「軍事力」以外のステキなこと。
そのいくつかは減衰しつつあるように思うし、そのいくつかはうまく機能していないように思える。そしていくつかは健在だと思う。
それらを毎日毎日積み重ねていくのが「外交」というものなんじゃないだろうか。

ただ、この国の経済的な発展のためだけではなく、援助する国に住む人。
何かの工事がおこなわれるならば、その工事の現場に住み、生活する人々。
その人達のことをぼくらが知っていたら。その彼らが望む援助をすることができ続けて行ったら。この国はとてもとても強い発言力を国際社会の中で持つことができるんじゃないだろうか。

今も、多くのNGOにこの国の人々は参加して、困ってる人に寄り添った活動をしている人はたくさんいる。彼らが活動しやすいような後ろ盾にいつもなっている国家だったら、そんな時間が数年過ぎたらどれだけの力をこの国の発言力に与えるだろうか。

この国で培われた技術やノウハウは、なんだかずいぶん勢いなくなったように思えるけれど、それでもまだまだあるんだろう。それがどのように使われるかってことで国際的な発言力は高まっていくんじゃないだろうか。

そして、誰一人殺さずに、たくさんの人々の命や生活を助け続けてきた自衛隊の人々も。。。もし、その歴史が続けられるならば大切な力をこの国に与えてくれるんじゃないだろうか。

未曽有の原子力事故を起こした上に誰もその責任を誰も取らず、被害を矮小化し、対策もせずに次々と再稼働を続け、民主的なプロセスを次々と覆すような政治が行われ、この国の住人達が県レベルで反対していることを強行し、たった数日間の国際的な運動大会のために、他国の先住民たちの森の木を伐採する。

もし、本当にミサイル危機なるものが現実として目の前にあるのだとしたら、この国に住む人々に本当に被害が出るとこの国の政府が「思っている」としたら、「外交上」の「話し合い」によって、解決できない程度の発言力しか持っていないこと。そして「ミサイルが飛んで来たら」「打ち落とすぜ!」と軍事力に頼った外交上のオプションしか用意できないこと。
それ自体がとても恥ずかしいことなんじゃないだろうか。
少なくても、この国の政治・行政に使われているぼくらの税金の対費用効果としてはありえないレベルの無能さなんじゃないだろうか。

もし、この瞬間、他国のミサイルがぼくの頭上に落ちてくるとしたら、ぼくはそんな政治を行ってきた人に権力を預け続けてきたことや無関心さへの責任を取らされるってことなんだろうか。

72年続いてきたこの国の中の平和。その区切りになる雨の火曜日にリアカーで行商に出るか出ないか迷いながら。。。悶々としているヨ。

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