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遠い国の話

想い出す光景があるんだ。

この国の国会で、議長席に議員さん達が群がり、怒号が飛び交い、書記さんも聞き取れなかったから議事録にも最初載らなかった『決議』の瞬間の光景。後で書き換えられてたけど。。。
安保関連法案とやらが、ホントかどうかわからないマスメディアでの世論調査でも「反対・慎重」の意見が多くあり。憲法学者さん達もほとんどが「憲法違反」って言っていて。この国に住む有権者さん達の2割ちょっとくらいからしか支持されていない与党さんが呼んできた参考人でさえ「憲法違反」って言った法案が決議された時の光景。

その決議の後、遠くアフリカ大陸にある南スーダンとうい国は、今また内戦状態になったと言われている。その国に、この国の人が「平和に貢献する」ために今もずっと「駐屯」している。
テレビでは政治家さんが「国際世論にこたえるため」「内戦状態ではない」「この国も平和維持に貢献することをためらってはいけない」ともっともらしいことをしゃべっていた。

でも、それは本当なんだろうか。
19世紀まで歴史を遡って、そこからざっと南スーダンの歴史を振り返ってみると、この土地に住まう人々の多くが直面してきたことがおぼろげに想像できるとぼくは感じている。
19世紀、植民地時代の幕開けとともに、この土地に住む人々の多くが「奴隷」という「資源」として扱われてきた。
その時に引かれた国境線は、この土地に住む人々の民族や文化を考慮したものだったんだろうか?
その時に引かれた国境線は、この土地に住む人々を「資源」とみていた他国の人間たちの「資源の奪い合い」の落としどころ、縄張りとして引かれたものだったんじゃないだろうか。

独立後も、そして国際的には「奴隷」という制度が表向きは廃止された後も、この土地からは「国際社会」とやらが必要とする資源が次々とみつかった。「石油」や「レアメタル」ってやつ。
この資源の独占と反感。奪い合いが起こすかのようにようにみえる内戦。
数百万人の人々がその内戦で命を落とし、数百万人の難民が生みだされているそうだ。
今、1,000万と言われる国民の中のなんという割合か。

二世紀以上になるこの「資源」の奪い合いと、そこから生まれ、積み重なった犠牲と憎しみの連鎖。
そこには常に「資源」を必要とする「国際社会」の輩がいて、その先に今ぼくらもいる。
そこには常に「憎しみ」に武器を供給し、この連鎖を続けたい輩いた。

その土地に、ぼくらの国の人々が「駐屯している」
彼らが属する組織は東北でも、九州でも、たくさんの命を救った組織だ。
救えなかった方々の遺品を丁寧に拾い集め、多くの遺族の心の隙間を埋めてきた組織の人たちだ。
世界的に稀有な、そしてステキな歴史を持つ、この組織に属する人々が、今、そんな内戦の中に「駐屯」することが本当に平和に貢献することなんだろうか。
誘拐され、洗脳された少年兵の銃口の先に、この国の多くの人の命を救ってきた人々がいて。
この国の多くの人の命を救ってきた人々が「警護」のためにそんな少年兵に銃口を向けることが「平和」活動なんだろうか。

もし、本当にこの国が、そしてぼくらが南スーダンに住まう人々の平和を望むことを、この国の政府の人々。国会議員さん達が望んでいるのであれば、それこそ小学校からずうっっと、南スーダンの歴史をこそ学ぶ機会を作ることから始めるべきなんじゃなかろうか。
「なぜ、この内戦が生まれ、二世紀以上続いてきたのか」
その答えを知ることが、どんなに長い時間がかかったとしても、この内戦の連鎖を断ち切り、多くの犠牲の上にさらに犠牲を積み重ねることを断ち切る一歩になりはしないだろうか。
ぼく自身も。。。
「原因」がわからないものは「解決」できない。
それはとても普通の、当たり前の、一般的なロジックなようにぼくには思える。

それを追求せずに起こす行動には、何か別な意図があるようにぼくには思える。
でも、平和を実現するためにこそ、この国の多くの人々の命を救ってきた方々には働いてほしいと、とても思う。

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