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民主主義の形

民主主義っていうのは話し合って決めていく。
それこそが基本だとぼくは思います。
多数決=民主主義みたいな話があるけれど、多数決っていうのは民主主義のシステムのたった1つの道具でしかなくって、イコールになるものではないとぼくは思います。
特に議会制民主主義って形になっちゃうと、議会で多数といっても選挙の仕組み次第ではぼくら国民の2割程度でも「多数」になっちゃうわけで。
多数決=民主主義になっちゃうと、それは少数による多数の支配っていう結論を肯定することになり「民」「主」「主義」じゃなくなっちゃうもの。

みんなで話し合うから時間がかかる。
「すぐにやらないと!」って思っている人や「ぼくが正しいのに理解してもらえない!」っていう人にはとってもイライラする仕組みだけれど、だからこそ少しずつ、社会は時代時代でぼくらの求めるものにゆっくりと近づいていくんじゃないかと思います。
すぐ!っていうほど近視眼的になりがちなものはないし、人を納得させることのできない「正しさ」ほど危険なものはないと思うからデス。

だから、民主主義はとっても歩みが遅いから焦っちゃう時にはなんかすごい天才やカリスマ聖人みたいな人に「どんどんやっちゃってよ」って思っちゃうけれど、何よりも民主主義的に決まったすべてのことについて、そこに参加するぼくらが「成果」も「結果」も引き受けることができるからこそ、民主主義はステキだとぼくは思います。

そして、多くの人が納得して進めるから時間がかかる民主主義は、だからこそ「多くの人が納得する」ことがとても大切だと思います。
そのためには「少数派をないがしろにしない」っていうことが原則で。
そのためには「1つのことについて話し合う、議題の根拠が公開され、参加する誰もがその根拠を検証できる」ことがなにより大事になると思います。
そうでなければ、主張する特定の一派に有利なねつ造された根拠であったり、間違っていることに誰も気が付かない根拠に基づいて話し合いをした場合、話し合いそのものがゆがめられてしまう可能性があるからデス。
さらには人間が行うものである以上、間違いがあることは当然ですから、その根拠が間違っていた場合、正しい根拠で議論をやり直すこと、そして、そのような間違いが起きないように原因が追究され、特定され、改善されるそのプロセスが議論に参加する人すべてに公開された上で、納得できる形で進められ、結論を得ることが大事だと思います。

そういった根拠に基づいた議論をした上で、賛成・反対の意見が出尽くす状態というのは「AだからBすべき」という賛成派の論理が検証されることと、「AであればCであるべき」という反対派の論理が参加者みんなにわかるように示されることであり、その上でようやく物事は決められることになるのだと思います。
それが民主主義であると思うのデス。

今、この国の政権与党が行っていることは、はっきりとぼくの思う民主主義に反しています。
議論するための論拠のねつ造、改ざん、隠蔽(こんなけ繰り返され、しかも原因追求がされないものは、ぼくはこれらの言葉の定義に当てはまると思います)が繰り返され、それが明らかになっても議論をやり直すこともせず、原因追求も一向に行われず、ただ時間が経ち、ぼくらが飽きるのを待ち、その上、たまにみる国会の答弁ではいったい何を言っているのかさっぱりわかりません。
自分の言語能力に問題があるのかと思い、字幕付きの動画で再生しても、テキストで読んでも結局わかりません。単語単語は日本語であるのに文章にするとさっぱりデス。
少なくとも質問に対して答えていません。
そのような状態で議論が深まるわけもありませんが、時間が来ると議場が荒れる騒ぎになっての強行採決。
この繰り返しはまったく民主的ではないとぼくは思います。

このような議論の上でこの6年間決まっていった多くのことは、だから少なくてもぼくの意見はまったく反映されていませんし、反対ですし、ぼくの生活に悪影響ばかりを投げかけてきているように思います。
1つ1つの政策についての世論調査でも反対が多いものが次々と決まっていっています。

これこそが、まさに民主主義だとぼくは思います。
ぼくらが選んだ人たちの民主的ではない行為をぼくらがずっと見逃し続けることによって、ぼくらが被害を被り続ける。
これが王様だの皇帝だのであれば、勝手にやられた結果だけをぼくらは享受して一喜一憂することになるわけだけれど、ぼくらが選んだ人たちによる結果をきちんとぼくらが引き受けることで、ぼくらは常に考えるきっかけをもらい、行動するきっかけをもらい、投票する権利もある。
今、ぼくの周囲で起きているろくでもないこと達は、だからとても民主的な結果なのだと、とても思います。

この国の大きなメディアの方々は人事権を握られ、ぼくらから権利を委託されただけなのにえらいと勘違いしてしまった権力者の方々と会食を繰り返した結果、ぼくらの手元にやってくる情報たちはなんともか細い限りだし、むしろこういう人たちと一緒にすり寄った方が安心、安全なのかもしれないけれど。。。
結果だけを引き受けることが民主主義ではない以上、やっぱりぼくは自分の思うことを発信していきたいし、投票するなら民主的になるべくやってくれそうな人にこそ、投票したいとだから思いマス。
イヤだなって思ったら変えることができる。それが民主主義のよいところだし、だからこそ、そう思わないように、行動しないように、一生懸命がんばっている方々いることを思うと、その権利が手元にあるということがとてもステキなことだと思うのデス。

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