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お母さんと子育てと街と。

cafeころんをはじめてから、肌で感じることがあるのデス。

ちょっと時間ができたので、それをざっとまとめておこうと思って。

それは「子どもを育てる」ということと「お母さんの役目」ってテーマのことなんだけども。

ころんを利用してくれる方のかなり大きな割合を占めるのが「お母さん」っていう存在。

お母さんにはお子さんがいる。
そして、新聞やなんかで取り上げられるから知識としては知っていたけど、その現実にびっくりするの。
「なかなか保育園に預けられないの」
「え?なんで?混んでるから?」
「そうなの」
「青梅でもそうなんだ?なんか高齢化で若者人口減ってるっていうのにね。」
「そうそう、順番待ちはあるし、フルタイムで働いている人優先なの」
「え?」

フルタイムで働いているお母さんのお子さんが優先でフルタイムで働いていないお母さんの子どもは後回しになるそう。
なんとなく理屈はわかるよね。でもホントは希望者に応えることだよなぁ。
例えばシングルマザーの世帯の場合、そもそもフルタイムで働くことが難しかったりするよね。
そういった家庭は保育園に子どもを預けられないから、周囲や実家、親戚の好意で子どもを預かってもらえないと働けないってことにな
る。
でも、そんなフレキシブルな仕事ってそんなにあるの?
働けなかったらどうするの?
そして、さらに根深い事実がたくさんある。
その子が保育園に行けなかったら?どうしても行きたくなかったら?
お母さんが子どもを保育園に預けたくなかったら?手元で育てたかったら?

今のこの国の風潮では、ある一定のルールからはみ出すことを「わがままだ!」「自己責任だ!」と批判するだけして、終わるんだろう
か。

でも、ぼくらは多様であるべきだ。
そして価値観は押し付けられるものではなく、自らの中で育て育むものだ。

多くの子どもが保育園ですくすくと育つように、お母さんのそばでこそ、すくすく育つ子もいるだろう。
多様な環境で育つ人間が混在する社会ほど、様々な可能性を育み、そして突発的な様々な角度からの問題にも強くなるだろうに。
特定の価値観で固まってしまった社会の行く末なんて、ちょっと歴史を振り返ればたくさんの事例にあふれてる。
ぼくらの住む街にだってそんな事例はたくさんあるだろうに。

だからぼくは仮定してみる。
①どのような環境に置かれていても、お母さんは子どもを保育園に預けられる仕組が必要。
②保育園に子どもを預けたくない、預けられないお母さんでも働ける環境が必要。
感情としてもそうだけど、なんていうか普通に柔軟で強い社会であったり、「金銭的に」みんなが豊かな社会を想像すると、こうなるっ
て思う。

でも、①はもとより、②は更に難しいそうだ。
職場に託児所があるところは圧倒的に少ない。
職場に子どもを連れて来てよいところは更に圧倒的に少ない。というかぼくの知ってる会社には皆無。

でも、想像してみる。
小さな頃から親の働く姿を間近で見ながら成長する子どもの可能性を。
ぼくはよく聞くよ。
「親父がこうやって働いている姿をみて、おれは。。。」
とか
「母親がこうやって働いて自分を育ててくれた。。。」
って言葉を。
今、立派に年をとられたおじいちゃんやおばあちゃんから。

自分が育まれる生活がどのような生業から生み出され、どのような人に囲まれ、そして一生懸命働く大人の姿を間近で見れることの可能
性を感じる言葉を。

そして、更に。
いつから子育ては家庭の責任。お母さんだけの責任になったのか。
電車で子どもが騒げばお母さんが肩身の狭い思いをする。
子どもがいるからお母さんはcafeにくつろぎにいくこともできない。

そんな話を聞きながらcafeころんにいると、とても可能性を感じる。
あるお母さんは子どもをおんぶして。あるお母さんの子どもはcafe内を走り回っている。
お母さんはお客さんじゃない、その日の店主だ。
よちよち歩くようになった子どもがお母さんの目がとどかないうちに玄関にたどり着いたら、それを抱えて帰ってくるのは別なお母さん
やお客さんだったりする。
他のお客さんもいるのに庭からキンキン声で駆け込んできた子どもを叱るのは、お母さんだったり、ぼくだったり(まぁ、あんまり聞い
てもらえないけど。。。)。
cafe担当のお母さんのお子さんが熱を出したと言えば、連絡網のようにあちこち連絡が飛び交い、空いてる誰かが変わりにcafeをオープ
ンする。
静かに過ごしたいお客さんはそっと週間予定をチェックして、静かなcafeの時にやってくる。

cafeころんでは、お母さんを中心に少しだけだけどイロンナ人が子育てに参加しているように思える。
そして、助け合いながらも、仕事という意味では自立している。
そして、お母さんは子どもを「保育園に預ける」「知り合いや実家に預ける」「連れてくる」を自分で選択している。
そして、「今まで働けなかったお母さんが」働いて稼いでいる。

ステキだとか、甘えだとか、なんとかっていう感情や特定の価値観に裏打ちされた言葉ではなく。
ぼくは2つの事実がそこにあると思う。

「たくさんの大人に触れながら、育つ子どもの可能性はとても広がっている」
「今まで稼げなかった人が稼ぐと街はその分潤う」
の2つだ。

青梅は都内のベットタウンの要素が強く、昼間人口がとても少ない。
青梅駅周辺はこの3年で昼間人口の減少がどこよりも顕著になってきたとリアカー引いててさらに思う。

でもさ、ホントは目の前にいるんだよ。
働けなかったお母さんが働き出したら。青梅でね。自営でね。
お金使うと思うヨ。
青梅でね。商店でね。
cafeころんをやっていて思う。
ここに地域経済活性化の金脈があるじゃないって。

この街で働くお母さんの背中を見て育つ子どもわさ~。少なくとも愛着もって育っていくんじゃないかなぁ。。。この街に。

cafeころんでお店をやってるみんなが稼ぎ出すお金は月数十万(ちゃんちき堂は別勘定)。
まだまだ少ないお金だけれど、ここが出来たから生まれてきたお金。
これはさ、巡ってるよ。かなりの割合が市内でネ。

これを増やして行きたいって思う。
これからまた幾つかcafeころんに梃子入れをして。
そうして、巡るお金から、ちゃんちき堂もちょっともらって豊かになりたいって思うヨ。

街が活性化するのに近道はあんまりないんだろ。
でも、方程式の幾つかは簡単に書ける。
「地域で生み出されるお金の量を増やすこと、巡るお金の量を増やすこと、お金の回転を増やすこと」
「それが持続的であること」
それが土台になって、その上にイロンナことが花咲くんだろうって思う。
ぼくもその一つでありたい。

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